台湾における商標権保護制度において、他人の登録商標と同一または類似の文字を会社名に使用する行為が商標権侵害に該当するか否かは、長年にわたり議論の対象となってきた。本稿では、台湾知的財産商業裁判所が下した112年(2023年)度民商訴字第59号判決を分析し、現行台湾商標法における会社名使用と商標権侵害認定の判断基準について検討する。
はじめに
台湾における商標権保護制度において、他人の登録商標と同一または類似の文字を会社名に使用する行為が商標権侵害に該当するか否かは、長年にわたり議論の対象となってきた。本稿では、台湾知的財産商業裁判所が下した112年(2023年)度民商訴字第59号判決を分析し、現行台湾商標法における会社名使用と商標権侵害認定の判断基準について検討する。
事件の概要
当事者と争点
本件は、台湾におけるホテル業務を巡る商標権侵害訴訟である。原告は、第42類「レストラン、ホテル、旅館業務のサービス」に関して登録された第00101668号「亞太」商標および第00101210号「ASIA PACIFIC HOTEL」商標(以下「系争商標」という)の権利者である。原告はこれらの商標を自ら経営する「亞太飯店」において実際に使用してきた。
侵害の発覚と経緯
原告は第三者からの情報により、被告が「亞太鹿港渡假村 ASIA PACIFIC RESORT」という名称を用いてホテル・旅館業を営んでいる事実を発見した。被告は原告の商標と同一の文字を施設名や広告等に使用しており、その態様は消費者に出所の混同を引き起こし得るものであった。
原告は、被告の行為がすでに原告の商標権を侵害しており、原告の信用に便乗し、また原告および消費者の利益を損なうものであると主張した。原告は2023年7月24日に警告書を送付したが、被告は会社名称に「亞太」を含めていることを理由に使用を継続し、応じなかった。その後も被告はインターネット予約サイトなどで「亞太」「ASIA PACIFIC」の名称を積極的に利用していたため、原告は侵害が持続していると判断し、排除を求めて本件訴訟に踏み切った。
判決主文
台湾知的財産商業裁判所は以下の判決を下した。
一、原告の訴えおよび仮執行の申立てはいずれも棄却する。 二、訴訟費用は原告の負担とする。
裁判所は、原告の請求を全面的に退け、被告に対しては何らの責任を認めなかった。したがって、最終的な勝訴者は被告側であり、費用負担も原告が負う結果となった。
判決理由の分析
一、系争商標の識別性について
まず裁判所は、商標の識別性に関する判断を示した。系争商標は「亞太」および「ASIA PACIFIC」という地理的名称を含んでいるが、指定サービスであるホテル・旅館業との間に直接的な地理的関連性は存在しない。したがって、本来であれば識別性が否定されやすい地名要素であっても、ここでは自他役務の識別機能を有することになる。
さらに、本件商標は登録からすでに約30年が経過しており、その間継続的にホテル業務で使用されてきた結果、需要者は当該標章を原告のホテルの出所表示として認識するに至っている。このことから、裁判所は後天的識別性も肯定できるとした。被告は系争商標が識別性を欠くと抗弁したが、これは採用されなかった。
二、被告が商標権を侵害していない理由
1. 商標使用の意義
商標法第68条第1項は、商標権者の同意なく登録商標と同一・類似の標章を同一商品・役務に使用し、需要者に混同を生じさせる場合を侵害と定めている。しかし「商標の使用」とは、標章をもって自己の商品やサービスの出所を表示する意思を有し、かつ需要者がそれを商標として認識できる場合をいう。
他方、会社名称は法人主体を識別するためのものであり、商標としての使用とは法的性質が根本的に異なる。したがって、他人の商標文字を会社名に含めただけでは商標法上の「使用」には該当しない。
2. 立法経緯の検討
商標法は2003年の改正により、他人の商標文字を会社名称等に用いる行為を「商標権侵害」と擬制する規定を導入した。具体的には、「商標権者の同意がなく、以下の場合は商標権侵害とみなす。一、他人の著名な登録商標であることを知りながら、同一または類似の商標、またはその文字を会社名称・商号・ドメイン名等に用いて、その識別性または信用を損なう場合。二、他人の登録商標であることを知りながら、その文字を会社名称等に用いて、消費者に混同を生じさせる場合。」との規定が設けられた。
ところが、この規定は権利者による濫用を招き、登録商標に過度の保護を与える結果となった。そこで2011年改正では第二号が削除され、擬制侵害が認められるのは「著名商標」に限定されることになった。
3. 立法目的と現行法の適用範囲
商標法の目的は、消費者が混同に陥ることを防ぎ、取引秩序を維持する点にある。したがって、非著名商標については会社名称への使用を直ちに侵害とみなすことはできず、侵害が認められるのは混同や不正競争が具体的に立証された場合に限られる。
4. 本件事実関係の評価
被告亞太公司は台湾労働部が鹿港に所有する労働研修センターの運営を落札し、労働部の要求に従い2022年7月1日に旅館業登記を行った。賃貸契約により職業訓練、労働者教育等の公共的業務への協力義務を負っており、原告の商標に便乗する商業的意図は存在しない。また両者の地理的位置は離れており市場区分も明確に異なる。
原告は2017年に系争商標を譲受したが著名性の証拠は不十分であり、需要者の混同を裏付ける具体的証拠も提出していない。
三、結論
以上を総合すれば、系争商標は識別性を有するものの、被告の会社名称使用は商標法上の「商標使用」には該当しない。商標法はかつてこれを侵害と擬制していたが、現在は著名商標に限られており、本件のような非著名商標には適用できない。加えて、原告は混同や不正競争の事実を立証できなかった。
原告が商標法第68条第1項、第69条第1〜3項、第71条第1項第2号および民法第185条第1項前段に基づき、侵害排除や損害賠償を請求するのは理由がない。
実務的意義と今後の展望
企業にとっての示唆
本件判決は、台湾における「会社名称と商標権侵害」の関係について重要な示唆を与える。すなわち、非著名商標を会社名称に用いただけでは商標権侵害は成立せず、権利者が侵害を主張するには、一、商標の著名性、または二、混同・不正競争の具体的事実を立証する必要がある。
企業は会社名選定にあたり、単に登録商標調査を行うだけでなく、その商標が著名か否か、あるいは市場で混同を生じ得るかを慎重に検討すべきである。特に、地理的名称や一般的な用語を含む商標については、その識別性や著名性の程度を十分に評価することが重要である。
商標権者にとっての課題
他方、商標権者は権利行使に際し、著名性や混同の証拠を十分に備えることが不可欠であり、安易に会社名称使用を理由に侵害を主張することは認められない。特に、以下の点について注意深く検討する必要がある。
まず、自己の商標が著名性を獲得しているかどうかの客観的評価である。著名性の立証には、使用期間、使用規模、市場における認知度、広告宣伝の状況など、多角的な証拠が必要となる。
次に、実際の混同が生じているかどうかの具体的証拠の収集である。消費者アンケートや市場調査、実際の混同事例の収集など、客観的データに基づく立証が求められる。
立法政策上の考察
台湾商標法の2003年改正および2011年改正の経緯は、商標権保護と企業活動の自由のバランスを取る立法の困難さを示している。過度の保護は権利の濫用を招き、逆に保護が不十分であれば商標制度の意義が失われる。
現行法は著名商標に限定することで適切なバランスを図っているが、実務上は著名性の判断基準の明確化が課題となっている。