はじめに:本件の焦点
本件は、台湾の智慧財産及び商業裁判所が下した、商標登録異議申立事件に関する行政訴訟の判決要旨を分析するものである。裁判所は、係争商標「渡邊」(登録第2260578号)に対し、商標法第30条第1項第12号を適用し、その取消しを認める判断を維持した。
商標法第30条第1項第12号の具体的な規定内容は以下の通りである。
「他人により同一または類似の商品・役務に先使用されている商標と同一または類似する商標であり、かつ、出願人が当該他人との間に契約、地縁、業務上の取引またはその他の関係を有することにより、他人の商標の存在を知り、模倣する意図をもって登録を出願した者」に該当する場合に、登録を拒絶または取消しできる旨を定めている。ただし、その同意を得て出願された登録は適用外とされる。
この規定は、先願主義を原則とする商標制度において、他人の先使用商標を模倣し出願・登録する行為を排除するための重要な例外規定である。
事案の概要と係争商標・引用商標
1. 係争商標(被申立人:渡邊食品股份有限公司・原告)
• 商標:「渡邊」(文字商標)
• 登録番号:第2260578号
• 指定役務(役務区分):第43類に属する「飲食店、日本料理店、火鍋店、レストラン等」
• 出願日:2021年5月21日
2. 引用商標(異議申立人・参加人:東正股份有限公司)
本件で係争商標の取消しの根拠として引用され、先使用権が主張された商標は以下の通りである。
• 引用商標:下図に示す「渡邊」の文字と図形を組み合わせた商標、および「渡邊」の文字商標。
• 使用役務:「レストラン、日本料理レストラン」など。
• 使用の態様:参加人は、日本の著名な料理人である渡辺信介氏と提携し、氏の姓を冠した高級日本料理店の商標として使用を開始していた。この提携は台湾の有名歌手もかかわっており、「渡邊」という商標の使用により、短期間で高いメディア露出と知名度を獲得していた。
3. 裁判所への提起
台湾知的財産局は、係争商標が商標法第30条第1項第12号に該当するとして取消処分を下した。原告(被申立人)はこれに不服として訴願(行政不服審査)を経て、本件行政訴訟を提起した。裁判所の判決主文は、原告の訴えを棄却するというものであり、係争商標の取消し処分が正当であると維持された。
裁判所の判断:先使用の認定と意図的模倣の立証
1. 参加人による引用商標の先使用の認定
裁判所は、当事者双方の主張を比較検討し、参加人による商標の先使用が、原告の出願より早い時期に成立していたことを確定させた。
• 参加人の使用開始時期の確定:参加人が、2020年10月20日に「日本料理渡邊」のFacebookファンページを開設し、同年11月17日にはニュース報道があり、同年11月19日にはレストランを正式に開業したという客観的な事実が認定された。特に、開業後すぐにメディアやYouTuberによる報道が相次ぎ、短期間で「2020年開幕の人気レストランの一つ」として認識されるに至った経緯が、周知性の獲得を裏付けるものとされた。
• 原告の主張の排斥:原告は自社「渡邊屋餐飲股份有限公司」設立(2020年5月)や行政総料理長「渡邊勝夫」氏の雇用を根拠に先使用を主張したが、裁判所はこれを排斥した。原告の初期の主要な識別部分は「渡邊屋」であり「渡邊」とは同一でないこと、また、原告が「渡邊」を冠したFacebookファンページ開設(11月4日)や社名変更(11月23日)を行った時期は、すべて参加人よりも遅いことが指摘された。
これにより、係争商標の出願日(2021年5月21日)より前に、参加人の引用商標が既に周知性を獲得していた事実が、揺るぎなく確立された。
2. 商標の識別力、類似性および出願人の「意図的模倣」の認定
• 識別力の判断:引用商標の「渡邊」は日本人の姓ではあるが、文字中の「邊」(しんにょうに自、その下に口の構成)が一般に常用される「辺」とは異なる異体字であり、見慣れているとは言い難いとされた。この非習見性が、飲食サービス自体を説明するものではないという点と相まって、商標が相当の識別力を有すると判断される重要な要素となった。
• 類似性:係争商標「渡邊」と引用商標「渡邊及び図形」は、文字部分において高度に近似し、指定役務も「飲食店」として高度に類似していることは明らかである。
• 意図的模倣の認定:裁判所は、以下の状況を総合的に勘案した結果、原告の意図的模倣を認定した。
1. 原告と参加人が同業競争関係にあること。
2. 係争商標の出願時期が、参加人のメディア露出が集中し周知性を獲得した時期と極めて近接していること。
3. 原告の事業開始が遅かったにもかかわらず、参加人の引用商標と高度に近似する商標を出願した行為は、客観的に見て偶然とは到底言い難いこと。
裁判所は、経験則および論理法則に基づき、原告が出願日前に引用商標の存在を認識しており、これを模倣しようとする不正な意図をもって出願したと断定した。
まとめ
本件は、商標の先願主義の原則に対し、意図的に模倣した出願を排除するという事例である。裁判所は、先使用権者の客観的な市場使用の事実(SNS開設日、ニュース報道日、正式開業日)と、後願出願人の内面的な意図(同業関係、出願時期の近接性、識別力の高い異体字の選択)を総合的に評価した上認定した。
この判決は、海外市場への進出を検討する企業に対し、①ブランド立ち上げ時の客観的な証拠保全の重要性、および②異体字などの非習見的な要素が識別力を高め、防衛力を強化する可能性を示し、参考に値する案例といえる。
出典:經濟部智慧智慧財產局商標判例(智慧財產及商業法院113年度行商訴字第64號)
https://www1.tipo.gov.tw/trademarks-tw/lp-563-201.html