台湾で争われたアップル社の「SIDECAR」商標事件は、同一文字商標であっても、商品が非類似で混同のおそれがなければ登録を妨げられないという商標法の基本的な考え方を改めて示した事例である。本件は、コンピュータソフトウェアとノートパソコン用バッグという、消費者の感覚では近接した売場に並ぶこともある商品が、法的にはどのように評価されるべきかをめぐって争われた。
一、事件の概要
アップル社は「SIDECAR」を第9類「コンピュータソフトウェア」に使用する商標として台湾で出願した。一方、同一文字から構成される商標「SIDECAR」はすでに第9類「眼鏡、サングラス、眼鏡ケース、ノートPC用バッグ」に登録されていた。台湾智慧財産局(TIPO)は、商標法第30条第1項第10号(混同のおそれ)を理由に出願を拒絶した。アップルはこれを不服として審判を求め、最終的に智慧財産及商業裁判所の判断に委ねられた。
二、判決の結論
裁判所は「両商品は類似せず、混同のおそれもない」と判断し、TIPOの拒絶処分を取り消した。その結果、アップルの「SIDECAR」は登録可能とされた。
本コラムでは、商標類否判断で重視される観点から裁判所の判断理由を整理し、あわせてTIPO(被告)の主張内容についても概観する。
三、TIPO(被告)側の主張
TIPOは、ソフトウェアとノートPC用バッグを以下のように「類似」と評価した。
(1)両者は広い意味で“コンピュータ関連商品”である
ソフトウェアとPC用バッグは、いずれも「コンピュータの使用に関連する」商品であるため、一定の関連性を有すると主張した。
(2)製造者・流通経路・消費者層に重複がある可能性
• 市場には、ソフトウェアとPCアクセサリをいずれも扱う事業者が存在する。
• 販売店では、ソフトとPCバッグが近接して陳列される場合がある。
→ よって出所が同じ、または関連企業だと誤認する可能性がある。
(3)商標権者が高級ブランドかどうかは類否判断に影響しない
アップルが主張した「バッグ側は高級ブランドで市場が異なる」という点について、TIPOは「指定商品が持つ潜在的な流通経路は限定できない」として退けた。
以上よりTIPOは、ソフトウェアとPC用バッグは相当程度類似すると判断し、拒絶処分を維持した。
四、裁判所は TIPO の主張を退ける
これに対し裁判所は、商品類否判断をより実質的・具体的に行うべきとして、TIPOの主張には根拠が十分ではないと結論付けた。
以下では、裁判所の判断要素を整理する。
(1)裁判所の判断(主要観点に沿った整理)
1. 形態
• ソフトウェア:データ・指令という無形物
• PCバッグ:物理的な袋状の製品(布・革・プラスチック等)
→ 根本的に性質が異なる。
2. 用途
• ソフト:コンピュータの動作・機能を提供
• バッグ:運搬・保護が目的
→ 用途に共通性はない。
3. 補完性の欠如
TIPOは「コンピュータの利便性を高める」という抽象的関連性を示したが、
裁判所は「補完性の根拠にならない」と明確に指摘した。ソフトとバッグは
• 同時購入の必然性がない
• 相互に作用して機能が補完されるわけでもない
→ 補完性は認められない。
4. 消費者の購買行動
TIPOが指摘した「併売されることがある」という点について、裁判所は、便宜上の陳列にすぎず、法的な商品関連性を基礎付ける事情ではないとして退けた。
5. 製造者・流通経路の相違
• ソフト:Appleやソフト/ハードメーカー
• バッグ:PCアクセサリメーカー・生活用品メーカー
TIPOが示した「両方を扱う企業も存在する」という例外的事例では、一般的関連性を裏付けるには不足すると判断した。
6. 多角化の実績
先登録商標SIDECAR(バッグ側)は20年以上存在するが、ソフトウェア分野への事業展開は確認されなかった。このため、商標権の保護範囲を広く取る必要性は低いとされた。
7. 実際の混同は確認されない
市場において両者が混同された具体的事例は見られなかった。
8. 善意の出願
アップルは2020年から「SIDECAR」商標を用いてコンピュータソフトウェア商品を市場で展開していることからすると、先登録商標の信用に便乗した痕跡はなく、出願は善意であると評価された。
■ 総合評価:混同のおそれはない
上記の要素を総合すると、裁判所は次のように結論付けた。
● 商標は同一で近似性は高い
● しかし商品は明確に非類似である(形態・用途・補完性すべて異なる)
● 市場実態として関連性は弱い
● TIPOの主張する「コンピュータ関連」という抽象的概念は類似性の根拠にならない
● 消費者誤認の蓋然性は低い
したがって、混同のおそれは認められない → 拒絶処分は取り消し
という結論に至った。
五、本件判決の意義
本件は、商標実務に次の点で重要な示唆を与える。
● 同一文字商標でも、商品が非類似なら混同は成立しない
文字一致だけでは不十分。
● “コンピュータ関連”という抽象概念では類似性を基礎付けられない
実際の市場実態・用途・機能を重視すべき。
● IT・デジタル領域での線引きに大きな意味
ソフト・ハード・周辺機器は一括りにできず、商品ごとの性質・用途が重視される。
● 先登録商標の権利範囲の過度な拡大を抑制
バッグ側SIDECARの権利が無関係なソフト領域まで及ぶことを防いだ。総じて、本件は商標類否判断における「商品非類似」の重要性を再確認する判決であるといえる。
出典:智慧財産及商業裁判所行政判決 113年度行商訴字第65号